奈良時代の高僧「行基」によって発見された伊豆最古の温泉。
奈良時代の末より、子宝の霊湯として親しまれてきました。
江戸時代、徳川家康公の側室「お万の方」様が入湯され、後の紀州大納言頼宜と、水戸中納言頼房のお二人を授かりました。
以来、広く子宝の霊湯として知られ、多くの方が子宝祈願に訪れます。
~子供ほしけりゃ、
吉奈においで
お湯の力で子ができる~
俗謡になる程に、古より多くの方が子宝祈願に訪れています。
お子様に恵まれますように、と「子持ち地蔵」に願をかけます。
「お万の方」は、徳川家康から寵愛を受けた側室の一人です。
家康の子を切願したお万の方はたびたび吉奈温泉の名主邸(現在の「東府やResort&Spa-Izu」)を訪れて温泉に浸かり、子宝授産の霊場「善名寺」で祈祷をし、のちに紀州頼宣公、水戸頼房公となる二人の男子を授かりました。
以来、吉奈温泉は子宝の湯として広く世間に知られるようになりました。
その当時、お万の方が腰掛けた「お万の腰掛け石」は今もなお、東府やの玄関棟庭園に残っております。
紀州頼宣は「暴れん坊将軍」で有名な徳川8代将軍吉宗の祖父にあたり、水戸頼房は「水戸黄門」で有名な水戸光圀の父親にあたります。
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かつて伊豆下田に「唐人お吉」と呼ばれる女性がおりました。
幕末の時代、下田開港にあたり、お吉は江戸幕府の命を受けて駐日アメリカ合衆国弁理公使ハリスの侍女として仕えました。
役目を終えた後、お吉は「唐人お吉」とさげすまれ、罵声と軽蔑のなか波乱万丈の生涯を送りました。
その生涯は幕末の開国に伴う悲劇として、たびたび小説や舞台になっています。
お吉は晩年、約2年もの間、当館に逗留して疲れ果てた心と体を癒しました。
当館はそんなお吉を手厚く迎え、再び下田に帰るまで物心両面から支えました。
お吉を下田に送る際、天城越えに使用したお駕籠は現在、当館のお吉資料館に展示されています。
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